前回の記事に続いて、またしても受験常識に対するアンチテーゼを投げかけることにする。

前回のテーマは「新聞を読むことは成績アップに直結しない」という趣旨で書いたが、今回の記事に関しては、現代文の成績の上げるために「テーマを扱った問題集をやった方がいい」と記事で書いているのでその説明責任を果たさせてもらうとともに、また背景知識を勉強することによって生じるデメリットについて解説していく。

まず「テーマを扱った問題集をやった方がいい」という点について。

何度も書いている通り、現代文の問題文は常に何かしらの「テーマ」を扱ったものになっている。したがって、そのテーマを扱った問題集というものは、非常にわかりやすい形で主題を見抜く練習に使えるので、その練習をするために有効利用しよう、というものだ。

そのため、テーマに沿った筆者の主張がどういう立場であるものなのかが未知の文章よりも明確で、「筆者の主張が何かわからない」という弱点を克服するために用いるものである、という結論を今ここで明記しておく。

さて、本題はここから。

タイトルにもある通り、現代文の背景知識は勉強する必要があるのか、という点について。

結論から言うと個人的な意見としては「まったく意味がない」と断言していい。

理由としては、まず第一に僕自身が役に立ったという経験がなかったことだ。今でも様々な本を読んだり、もちろん受験勉強をやっているときにしても、「背景知識を勉強したことによって文章が読みやすくなった」あるいは「成績が安定した」という経験が一切なかったのである。もちろん、科学誌(最近は脳科学にハマっている)などの専門性の高い本を読む場合には前提となる知識があれば読みやすくなることはあるが、専門書はは専門分野にある程度明るい人間を対象に書かれているので、受験においてはその限りではない。

例えば。

「科学と自然」という超有名なテーマがある。

これは基本的には「科学技術の発達と自然環境の破壊」といったような対立構造を想起させるテーマであるが、実際の問題としてこんな簡単な構造を持つテーマはほとんど出題されない。

それどころか、目まぐるしく変化する現代においては科学の発達と環境保全は対立するものではなく、むしろ共存するものにすらなりつつある。

他にもめんどくさいテーマの一つに「芸術」というような分野がある。

よく出てくる言葉では写実主義、リアリズム、虚構、抽象などのような、テーマ自体が抽象的な分野だ。

日本史、世界史を選択している人ならわかると思うが、そもそもにおいて、美術や絵画とは様々な流派・技法が西洋をはじめ、時には宗教的な意味を持ちながら、東洋においてもその手法においては決して一つにまとまることはなかったのだ。

現代でいえば「音楽」が分かりやすいだろう。ポップ、ロック、ジャズ、メタル、パンク、ファンク、レゲエ・・・様々な音楽を総括りにして「音楽」というものを同列に語る事はひどく馬鹿馬鹿しいことではないだろうか?

これと同じことが「芸術」の背景知識に対しても言える。

つまり、これほど多種多様な文化の存在をある特定の立場から考察されたことをあたかも、あるテーマに対する背景知識として勉強すると、それはかえって現代文の問題文を読むときはステレオタイプと化してしまうのである。

そもそもにおいて、現代文で用いられる素材は千差万別、書いている著者も十人十色、その中で特定の一つの考えをゆるぎない背景知識・テーマとして認識しておくことはデメリットになりうるということだ。もちろん「考え方の一つ」として背景知識を勉強するのは構わないが、世の中にあふれている「背景知識の勉強」というのはまるで「それを知っていると文章が読みやすい」など、ある意味その考え自体を固定化しかねないような文言が多いので、前回の新聞に関連した記事と共に、書こうと思った次第だ。

強いて言うなら「記号論」ぐらいは勉強して損はないかもしれない。

そうであっても問題文に書いてあることは、いや書いてあることのみが絶対である。ゆえに、背景知識というものは時に己の足枷(あしかせ)になることがあるということだけは知っておいてもらいたい。テーマよりも語彙力の強化、そしてどの言葉がいかなる文脈で用いられているのか、という事こそが文章の方向性を決めるのだ

ここ数年の技術の発達は世界を変えた。そして世界はオンリーワンを求めている。ありとあらゆる場所でパラダイムシフトが起こっている。

その渦中で「テーマに縛られた」問題文を出題するのはいかがなものか?というのが僕個人の感想

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